トップ画像出典:twitterより
世の中には天才と言われる人がたくさんいます
今回紹介する山内奏人(そうと)君もその一人
(にしても名前かっけぇな)
この山内君は16歳(高1)にしてベンチャー企業3社で働いているそう
(現在は18歳になっているはずです)
高1で働くって超勉強できないやつくらいだと思ってましたよ
ほんと世の中には普通のレールとは違う道を通っているすげぇ人もいるんですね
・1億調達した16歳天才プログラマーは日本復活をかけて東京で戦う
という事なんですが、僕が気になったのは
この人の親ってどんな人!?親の顔が見てみたいわ!ってこと
本人が天才とかいうのはまぁ、どうしようが天才なのは仕方ない話で、我が子にいきなり、「おい、天才になれよ」と言ってもなるわけはないので、出来ることとしては「天才にする手助け」なわけです
なので、山内奏人君の生い立ちや経歴などから親の顔を探れるだけ探ってみたいと思います!
と、新たに画期的なアプリを開発したということでこのような記事も見つけましたので、山内そうとくんの両親をご紹介する前にこちらも紹介いたします!
・レシートが1枚10円にかわるアプリ「ONE」公開、17歳起業家が新たに目指すのは“次世代の金券ショップ”
レシートが1枚10円で売れるなんて。。。
・1枚10円でレシートを買い取るアプリ「ONE」公開–わずか6時間で2万件の依頼
なんとわずか6時間で2万件の依頼!システムがパンクしたりはしないのでしょうか。。
目次
山内奏人君って?
出典:twitterより
プロフィール
名前:山内奏人(やまうちそうと)
生年月日:2000年(平成12年)生まれ
干支:辰年
家系図:次男
出身中学:東京学芸大学附属国際中学校【地図】
高校:東京学芸大学附属高校【地図】
職業:プログラマー
兄弟:兄(4・5歳差?)
尊敬する人:孫正義
来歴
・3歳頃から好きなことにはのめり込むタイプでそれに対し親はとことん見守るか付き合った
・幼稚園の頃は昆虫にハマり、家の近くの昆虫館に毎日通う
・その後はニャッキ(TVアニメ)の影響でストップモーションアニメーションにハマり小麦粘土で自作する
・小学生の頃は昆虫が好きで青虫をダンボールで50匹ぐらい育てる
・パソコンを始めるきっかけとして6歳の時に父が使い古したパソコンでwordとExcelで遊び始める
・ネットに繋がっていなかった為色々といじってみて慣れ親しんだそう
・マイクロソフトのOfficeを使い虫の新聞や家族で出かける用の旅行のしおり製作をする
・兄もパソコン好きで職場体験の際に奏人君が小5(10歳)の時にマイクロソフト社を訪れた
・10歳の頃にもっと勉強したいが為に図書館でプログラミングの本に出会い独学でC++を学ぶ
・月に一度Rubyを教えてくれるワークショップに参加
・小学6年生(12歳)の時に『中高生国際Rubyプログラミングコンテスト2012(15歳以下の部)』で最優秀賞を最年少受賞
・自ら渡米しトップ企業の最先端の開発現場の考え方を学んだりアメリカの学校でのITの導入の様子を見学して勉強する
・中学1年生の時のビジネスプランコンテストで優勝
・教育系のベンチャーにコミット
・さらに別のベンチャーにも誘われコミットする
・中学時代に『It is IT』という団体を設立
・学校のみんなで使用する小さなSNSを制作
・プログラミングワークショップを開催
・中学2年生の時に軽井沢の全寮制インターナショナルスクール『ISAKサマースクール』の試験受験したが、奨学金の選考にはもれてしまったため、自らクラウドファンディングを通じ資金を集め見事参加を果たす
・14歳(中学3年)で3社のベンチャー経験
・ベンチャー企業「Fin Tech」にエンジニアとして参加
・15歳でオフィスを構える
・16歳でカード決済アプリONE PAYを手がけ、資金調達は1億円に
・17〜18歳。今回、新たにレシート1枚10円で売れるアプリを開発
奏人君が印象に残っている母の言葉
「奏人を見てると自分ができないって思っていることって自分がそう決めつけてるだけで、本当はその気になれば実現できることなんだなって気づいた、気づかせてくれてありがとう」(奏人君が中学3年生時アメリカにあるMITメディアラボ訪問時)
来歴から想像する親の姿
出典:withnewsより
奏人君幼少期
さて、奏人くんの功績はわかったのですが、肝心の親の姿はどこをしらべても詳しくは出てきません
ですが、その中でもいくつかヒントがあったので、それを元に奏人くんの親がどのように接していたのかを読み解いていきたいと思います
奏人くんが3歳頃の時
この時の奏人くんは自分の好きなことにはとことんのめり込むタイプだったそうです
そしてこれに対し親は見守るか付き合ってあげたとの記述がありました
3歳頃といえばようやっと魔の2歳児が終わったころですが、まだまだイヤイヤが残っていたり、親の言うことを聞かないという時期
自分はこれがやりたいんだ!こうしたいんだ!ということがあり、ある程度言葉としても会話が成り立つ時期です
そんな時期を優しく見守っていたということですね
親の懐の大きさが伺えます
奏人くんには兄もいるとのことで、2人目だからどうすればいいかがわかっているとも言えますね
昆虫にハマっていた幼稚園時代
幼稚園の頃は昆虫にハマっていたそうです
幼稚園から帰ったら、荷物をおいて母が自転車に乗せて家の近くの昆虫館に毎日毎日連れて行ってくれたんだそう
こちらからは母の子供に対する愛情の深さが垣間見えますね
普通の親ならちょっとめんどくさがったり、昆虫を見たら汚いもの・気持ち悪いものといった印象がある中、おそらく好きなことは片目を瞑ってでもやらせてあげたのではないかと思われます
もしここで親が「昆虫なんて!」という否定的な姿勢を見せていたらこうはなっていなかったのかもしれませんね
好きなことはとことんやらせる
それにしっかりと向き合いサポート、手伝ってあげる
この姿勢が何かを突き詰めれる子供を育てる上で大切なのかもしれません
幼稚園から小学校時代
- その後はニャッキ(TVアニメ)の影響でストップモーションアニメーションにや、ピングーにハマり小麦粘土で自作する
- 小学生の頃は昆虫が好きで青虫をダンボールで50匹ぐらい育てる
- パソコンを始めるきっかけとして6歳の時に父が使い古したパソコンでwordとExcelで遊び始める
- ネットに繋がっていなかった為色々といじってみて慣れ親しんだ
幼稚園から好きな昆虫とアニメーション
これを見る限り言えることは幼稚園時代にはTVは見ていたのかもしれませんね
そりゃあ見るでしょって思うかもしれませんが、数々の天才の親はTVをダラダラ見る環境を避けています
ただ、ニャッキということはNHK教育テレビは見ていたのでしょう
ニャッキも青虫なのでその影響もあってか幼稚園〜小学生時代には昆虫好き&青虫を50匹飼育という事をしたのかもしれません
ニャッキの影響でストップモーション・アニメーションにハマったとあるように青虫を実際に飼育してみてその動きを観察しアニメーションに活かしていたとも考えられます
そのあたり、奏人くんの親は寛大に、本当にやりたいことを応援していたのでしょう
とは言っても、想像ですがもしかしたらそのように促した可能性もあります
- ニャッキにハマった、それを見て「実際に飼ってみる?」と一声かけた
- 昆虫好きから同じ昆虫のアニメーションの方向へ方向転換しようとしてTVを見せた
- 小麦粘土を使って遊ぶことを好きな昆虫orニョッキでやらせた
といったことも考えられます
「小麦粘土」というところも何だか親の意図が感じられます
小麦粘土の材料といえば名前のとおりに小麦粉、それに水です。
食紅を使えば色を調節できて、万が一口に入れても全て食材なので安心ですし
子供の手の握力や作りたいモノによって硬さを変えられるのと、塩を入れると3〜5日は保存が可能とのこと。
この小麦粘土の材料はなんと自分のお小遣いで買っていたそうです!
幼稚園〜小学校でお小遣いをもらっていた事は普通の家と変わらなそうですが、こういったものを買い与えていたのではなく、自分のお小遣いで買うように促していたのですね
自分で買って作る・作り出すようにする
その上で安全性にも配慮がされている
おそらくこのアニメーションを作ったというのも、1日・2日で出来たものではないでしょうから、せっかく作ったものを壊してしまったり、片付けてしまったりといったことはしなかったのでしょう
長い時間をかけて何かを作り出すという持続力を鍛えるにも、手の器用さを発達させるのにもこのアニメーションづくりというのは役に立ったのではないかと睨んでいます
青虫の飼育に関しても、50匹という数字は正直、異常です(苦笑
ですが、そのくらい青虫を採取させたのでしょうし、そういった環境が近くにあった、又はわざわざ取りに行ったということです
飼育中の青虫の中には蝶になったものから、蜂になったものまでさまざまだったそうなのですが、そのようにじっくり観察できる環境を作ってくれたこと、それに、嫌いになるような否認するような言動はなかったそうです
我が子がこんなにも昆虫が好きで毎日見て触ったりしていたら、普通の親ならちょっと心配になりかねませんけどね…母親父親ともに色々話し合ったことが容易に想像出来ます・・・
さて、それはそうと、このストップモーション・アニメーションを作るにあたってのPC上のソフトですが、これに関しても買い与えたと言うよりは2年間分の誕生日プレゼントを前借りして購入したそうです!
この年齢で誕生日プレゼントを前借りっていうのも、奏人君が自らそういったのかもしれませんが、親とのそういった会話の上で自分で買うように言ったのかもしれません
とにかく買え与えることはしなかったということです
そしてその後の2年間は誕生日プレゼントもあげなかったそうなので、
- 2年間しっかりそのことを覚えていたこと
- 約束したことはきちんと守ること
- まいっかで次の年誕生日プレゼントを買うようなことはしなかった
ということですね
かなりの親の意図が感じられるのは僕だけでしょうか?
父から貰ったネット無しのパソコン
6歳の頃に父から使い古しのパソコン(機種はWindows)を貰ったそうです
と、ここで大きなポイントが
インターネットに繋がっていなかった
ということです
このネットにつながっていなかったということが、パソコンをいい方向に向かわせたのかなと思います
と言うのは、奏人くん自信が話していたことですが、ネットにつながっていたら、今頃はYouTubeなんかを見ていただろうと話していますのでこの「ネットに繋がっていないパソコン」というのが大事なポイントです
これも親の大きな意図が汲み取れますよね
父は使い古したパソコンを上げたとのことですが、当然父が使うパソコンはインターネットにつながっているはずです
しかし、子供のそれにはしなかった。
そして、おそらく父の使い古したパソコンということは、以前まで使っていた色々なファイルやソフトも残っていたでしょうから、そういったパソコンの状態も知らず知らずのうちに目に入り記憶に残っていたはずです
敢えて新しいパソコンを買ってやらず、そういったものを与えたということ
更には奏人くんには兄の存在もあって、兄もパソコン好きだったとの供述が残っていましたので、兄の姿も見て育ったこともあるでしょう
僕自身、4つ上に兄がいて幼少期はよく兄の姿を見ては真似したものです
そういうことを考えると、この前頃には兄もおそらくパソコンを持っていたのではないかと思われます
その一つ一つの環境が奏人くんをパソコンに向かわせる環境を作ったものと考えます
小学校時代
- マイクロソフトのOfficeを使い虫の新聞や家族で出かける用の旅行のしおり製作をする
- 10歳の頃にもっと勉強したいが為に図書館でプログラミングの本に出会い独学でC++を学ぶ
- 兄もパソコン好きで職場体験の際に奏人君が小5(10歳)の時にマイクロソフト社を訪れた
- 月に一度Rubyを教えてくれるワークショップに参加
- 小学6年生(12歳)の時に『中高生国際Rubyプログラミングコンテスト2012(15歳以下の部)』で最優秀賞を最年少受賞
- TEDxKids@Chiyodaでスピーチ
- 自ら渡米しトップ企業の最先端の開発現場の考え方を学んだりアメリカの学校でのITの導入の様子を見学して勉強する
プログラミングに出会う前
パソコンは父のお古をもらい親しんでいましたが、まだプログラミングに出会っていませんでした
10歳の時にC++と出会ったとありますので、その前の9歳までの段階でマイクロソフトのOfficeで新聞制作や旅行用の栞制作をしたということです
そしてそこでも親は作ってくれた栞に関して、「おかげで便利になるね、ありがとう」との言葉をかけていたそうで、本人はその言葉がとても嬉しかったとも述べています
そういった感謝の言葉ややる気を育てる言葉をかけていたことも一つのポイントでしょう
子供の頑張りを褒めるということを意識していたと思われます
プログラミング習得・その後
その後は図書館でプログラミング言語C++を独学で勉強し始め、Rubyのワークショップに参加したりなどその他言動などからも自発的に、自らプログラミングの道をどんどん突き進んで行ったようです
ですので、親の動きとしてはそれを応援・サポートといったところでしょう
小学校の中・高学年ともなればだんだん親元を離れますし、親の手取り足取りは必要なくなってきますので、考察はここまでにします
まとめ
さて、今回天才プログラマー山内奏人くんの生い立ちからその親の姿を考察してまいりましたが如何でしたでしょうか?
要所要所で親がきちんと適切な対応をしていたのではないかと思われます
しかし、正直普通の親とは違っていた部分もありました
それは主に幼少期でしたね
いかに幼少期にやりたいことをやらせてあげられるか
これは頭ではわかっていても実際に子育てを経験のある方ならその難しさはおわかりのことでしょう
やりたいことが危ないことだったり
やりたいことが親のやらせたくないことだったり
時間がないや約束の時間に遅れてしまうから中断させたり
やらせた後の後片付けの事を考えてしまうがための行動をしてしまったり
風邪などの健康面の方を優先してやらせなかったり
様々な面から子供を考えてしまうことで「やりたいことをやらせる」という一見簡単に思えることもできないということがあります
しかしながら今回山内奏人くんの生い立ちを通して親としてどのようにあるべきなのかを今一度考え、子供にとっての、子供の将来にとっての行動を見直していかなければなりません
最後に山内奏人君が中学1年生(12歳)の時に発表したTEDxKidsでのスピーチをご覧ください(全部英語でのスピーチです)
以上、「レシート1枚10円で売れるアプリ開発の天才プログラマー山内奏人君(18歳)を育てた親はどんな親だったのか?」でした
最後までご覧いただきありがとうございました