『勉強』と言う言葉は勉強嫌いにさせない魔法の言葉

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目次

子供の将来を考えて勉強嫌いにさせたくない…!

『勉強』という言葉を聞いてどう思うでしょうか?

 

勉強という言葉自体が何だかメンドクサイ印象を与えていたりはしないでしょうか?

 

今回は勉強という言葉を逆手に取り、子供を勉強嫌いにさせない方法をお伝え致します

 

勉強という言葉のイメージ

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まずは勉強するというイメージについてですが

多くの方にとって勉強は「しなければならない」と言うイメージをお持ちかと思います

 

もしくは、「したくないけどやらざるを得ない」というイメージなどですね

 

それという大概は若い頃に受けた勉強のイメージから来るものです

 

  • 親に「やれやれ」とうるさく言われた
  • 勉強ができない・苦手意識が克服できなかった
  • 勉強に楽しい思い出が少なかった

 

他にも理由はあるでしょうが、勉強という言葉のイメージは今まで生きてきた中のどこかのタイミングでその勉強が苦手なイメージが付いてしまったといえます

 

 

もちろん勉強が好きな方でしたら今回の記事はさほど為にならないのかもしれません

 

勉強が嫌いな方や元々好きではない方が多く対象となるかと思います

そして、そんな勉強という言葉にマイナスイメージやネガティブイメージのある方はそのまま親になってしまうであろうことを前提としています

 

一度ついた苦手意識やマイナスイメージはなかなか簡単には変えられないものですので、大人になっていきなり勉強が好きになったなんてことは少ないでしょう

 

もしあるとすれば、それは一度勉強をしなくてなならないストレスから逃れた為に起こる余裕からくるものではないかと思います

 

遊ぶという言葉のイメージ

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一方『遊ぶ』というイメージはどうでしょうか?

遊びと聞くとほぼ大抵の方は悪いイメージは持たれないのではないでしょうか

 

これは幼い頃から遊ぶということが友達と一緒に何か楽しいことをした、や、

遊園地・水族館・動物園・各種テーマパークなど、どこに行くにもそれらは『遊び』の部類に入っており、それら全てには楽しかったなどのプラスイメージがついて回っていたことが一つの原因と思われます

 

つまり勉強するということは『遊び』の部類には入っておらず、両者は全くの別物としての認識が脳に植え付いている事となります

 

遊ぶことが嫌いな方はまずいないのではないでしょうか?

そういう認識で進めていきます

 

言葉の持つ力

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このようにそれぞれ言葉の持つ力というものは大変大きく、

  • 『勉強』という言葉と
  • 『遊び』という言葉を

それぞれ聞いた時の脳の判断が一瞬でもマイナスに向くかプラスに向くかの大きな違いが生まれるほど言葉の持つイメージというものは変え難く、取り除きにくいものです

 

そしてその一度ついたイメージを変えるということは、何か今までの習慣を変えるように難しく、相当な意識の改革とそれに伴う努力が必要なのです

 

学ぶというということ

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さて、ここで『学ぶ』ということについて少し考えてみましょう

先程出てきた勉強すると言う言葉に近い『学ぶ』という言葉

 

この言葉の本質的な所には『進んで何かをし、モノにする』という意味合いが含まれており、勉を強いるという言葉とは似て非なるものです

 

同じ勉学の部類の言葉でも『勉強する』と『学ぶ』ではそのイメージの捉え方が違うといえるでしょう

 

もちろん中には勉強と同じように良いイメージがないという方もいらっしゃるでしょう

 

それは先程も言ったように勉強や学ぶという言葉が生活の中で嫌いになるきっかけがあったりや(親に口うるさく勉強しろと言われたなど)

そもそも勉強が苦手である(苦手なものは好きになりづらい)といった原因があると思います

 

ですがここで大事なのは、その苦手意識や悪いイメージをそのまま子供に引き継がないようにすることです

 

勉強するという魔法の言葉

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さぁでは『勉強する』という言葉がどのように勉強嫌いにさせない言葉となりえるのでしょうか?

 

その方法は、普段子供に言う『遊ぶ』という言葉を『勉強する』に置き換えるということです

 

『遊ぶ』という言葉を『勉強する』に変える、つまり

 

「今日は外で遊ぼうねー」を「今日は外で勉強しようねー」

「おもちゃで遊ぼうっか」を「おもちゃで勉強しよっか」

「何して遊ぶ?」を「何して勉強する?」

 

このようにほぼすべての『遊ぶ』を『勉強する』に換えてしまうのです

 

こうすることによって否が応でも幼い頃から『勉強する』ということが楽しいことというイメージがつくこととなります

 

そもそも実際、勉強なんてのも

 

「何かをして勉強になった」

「失敗をしたことで勉強になった」

「経験が勉強となり・・・」

 

などと経験から得るもの実体験から得るものも指していて、実社会では机に向かって何かを勉強する機会よりも生活や社会から教えてもらうことの方を勉強と表現することが多いのです

 

ですので机に向かって書き物をする、本を読んで学ぶことだけが勉強とは言えないはずなのです

 

ですから遊びの中から何かを得る、学ぶことこそが本当の勉強であることから、このように『遊ぶ』を『勉強する』に変えてしまっても意味合いとして何ら不思議な事ではないのです

 

勉強は楽しいものと言う認識を子供のうちから植え付け、遊び=勉強になるような働きかけをまだ子供が幼いうちからすり替えて行くことが、勉強という言葉に対する認識を和らげる一つの手段であると考えるのです

 

親の意識がとても大事

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この勉強=遊びを行う上で、一番に意識しなくてはいけないのが実践者である親の方です

 

親自信が勉強に対して良いイメージがなかったり、机に向かって行うそれというイメージしか浮かびにくいのであればかなり意識する必要がありそうです

 

まずは親の側が勉強は日常のあらゆる所に転がっているという認識を持つようにしましょう

 

外で遊んで転んで怪我をした。これもまた勉強です

友だちと会う。これもまた人間関係という勉強です

何して遊びたい?という言葉の意味をまだ1・2歳児は正確には把握していません。ですのでこの時期に「遊ぶというのはこういうもの」というイメージを勝手に植え付けないようにしましょう

 

『遊び』という言葉、それは親の考える「遊びという言葉の範疇のこと」なのだということを客観的に認識する必要があります

 

では誰がそれを『遊び』と定義したのか?

 

「今日はいっぱい遊んだね。」では無くて、「遊びを通じていっぱい勉強になった」のです

 

親の勝手な遊びという言葉のイメージを子供に当てはめてしまうとこの今回の取り組みは台無しになってしまいます

 

 

まとめ:言葉は一種の洗脳である

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と、ここまでつらつらと書いてきましたが、これは一種の洗脳だと思っています

 

でも結局、「普通に子育てすること」も一種の洗脳なのです

 

つまりどういうことかというと、その家庭その家庭の決まりやしきたり、はたまた宗教なども生まれた子供には全く関係ないことなのにも関わらず、子供は知らず知らずにその家のルールに従う形になっているということです

 

例えば、ある家庭ではテレビが常についているとしましょう

しかし別の家庭ではそれが当たり前ではないとすれば、常にテレビがついている家庭で生まれた子はほぼ必然的に常にテレビがついていて当たり前の環境が普通となります

 

また、別の例で言えば、

ある家庭では父親が全く、一切、家事を手伝わないとします

しかしもう一方では家事分担をしていたり、子供も家族の一員として家事を手伝うことが普通だとします

もう一つ言えば、私のように父親が家事&育児をする家もあるわけです

 

こういった家庭内の姿を見て男の子であれば父親を見て育つでしょうし、女の子であればのちのち母親に似てくるものなのです

 

とすればこれらも一種の洗脳と言えるのではないでしょうか?

 

もちろん親や家族にそんな意識は全く無いとしても、です

 

ですのでこういった小さな積み重ねからその子の人生の方向性が決まっていきます

 

と最後は広範囲な話になってしまいましたが、たかが『勉強』という言葉一つですが、子供が無意識のうちからの親の心がけによって将来損をしない子供にしてあげる取り組みを意識的にしていくべきではないでしょうか

 

最後までご覧いただきありがとうございました

2 COMMENTS

あほくさ

逆だろ
勉強を遊ぶに変えてくれたら気楽に学べるじゃん
堅苦しく考えたくないのが今の若者なんだから

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muddydaddy3

あほくさ様
コメントしていただきありがとうございます。
ただ少し勘違いされているようなので、もう一度「勉強するという魔法の言葉」の段落をよく見返していただけるといいかと思います。
これの目的はまだ「勉強」や「遊び」という言葉の定義自体が出来上がっていない段階の子供に対して「勉強」という言葉にいいイメージを持たせることが目的なので、私も含めてあほくさ様がすでに持たれている「勉強」のイメージは皆無であるということが前提です。
つまりまだ勉強という言葉に良い悪いのイメージがない段階から楽しいものというイメージの植え付けをしようというものなので、勉強=楽しいものになるのです。もちろんやっている内容は遊びであってもです。勉強するときは遊びのようにすることはあほくさ様の言うように正しいことだと思います。ですがそれはすでに勉強というイメージがある程度ついてしまっている子供や大人に対しての考え方であるということが言えます。私は「若者」に対しての記事を書いているわけではなく、1歳・2歳を対象にしていることを念頭に置かれてください。

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